先日、川上弘美さんの新刊「どこから行っても遠い町」が刊行された。新潮、yomyomに連載された連作短編をまとめたものである。一作一作は独立しているもののお互いの物語が違う物語へと発展していく様は「ニシノくん」でも試されていたがやはり実験的でもあり非常に興味深い。
しかしここで描かれた話の素晴らしい事はまったくもって言葉にすることが出来ない。それぞれの物語にあるのは日常である。ごくごく一般的な日常と言って差支えが無いだろう。しかしその日常がほんの少し刻まれて非日常がチラっと顔を出す瞬間がある。それがこの物語のズレとなり読んでる私のズレとなっていく。その違和感こそが近年の川上作品の特徴であろう。
この本の中では劇的なことは何一つ起こらない。全てが淡々と進みズレ自体も物語の展開に役立つことは無いがそのズレに飲み込まれていくような感覚なのだ。
こんな話を書ける人が他にいるだろうか?単にホレタハレタなんて書く作家は山のようにいる。過剰なまでに物語を詰め込む作家も同様だ。しかし淡々としながらも物語にズレを生じさせ小さな亀裂を埋め込みながら切り込んでいく様な作家はほとんどいないだろう。
先日まで「真鶴」を繰り返し読みそこに川上さんの集大成と新しい道筋を見出していた。「真鶴」も今後を左右するような傑作である、しかしそこには心血を注いだという証のようなものが刻まれている。生も根も使い果たしたという雰囲気である。それに対してこの連作短編はもっと軽やかでありながら「真鶴」に匹敵すズレが見事に描かれているではないか。
以前にも書いたが川上さんにとってはひとつの話をじっくりと描く長編よりも様々な要因が表れては消え、消えては表れるそんな短編こそ一番魅力的だろうと感じている。そしてその短編もまた複数の顔を持つが今回のような作品集を出されてしまうと本当にまいってしまうしかない。
この作品はズレを楽しめるか、言葉を楽しめるか、行間を楽しめるか、そして何より自分の日常を楽しめるかが問われている。過剰さを求めるような人にはまったく向かないが立ち入ればただでは済まない世界がそこにあるのだ。
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